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東京高等裁判所 昭和30年(行ナ)17号 判決 1957年2月12日

原告 A

被告 日本弁護士連合会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、被告が昭和三十年二月二十二日原告に対してなした懲戒決定を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。との判決を求め、請求の原因として次のとおり陳述した。

(一)  原告は、長野県弁護士会所属の弁護士であるところ、

(1)  同弁護士会は、原告は同県内に法律事務所を設けずに、その地域外の静岡県駿東郡裾野町に居住し、同所において弁護士の業務を営んだことを理由として、昭和二十八年四月三十日原告に対し、六ケ月間弁護士業務の停止を命ずる旨の懲戒処分をなし、その頃原告にその旨通知したから、原告は同年五月二十七日被告に対し適法な異議申立をした。(被告連合会昭和二十八年懲第三号事件)

(2)  又、静岡県弁護士会は、右(1)と同一理由に基き昭和二十八年七月六日被告に対し、原告を懲戒処分に付すべき旨の申立をした。(同昭和二十八年懲第六号事件)

(3)  なお、長野県弁護士会は、原告が同弁護士会費及び日本弁護士連合会費を滞納したことを理由として、昭和二十九年六月二十四日原告に対し、同弁護士会より退会を命ずる旨の懲戒処分をなし、その頃原告にその旨通知したから、原告は同年七月二十四日被告に対し適法な異議申立をした。(同昭和二十九年懲第十一号)

(二)  被告は、右(1)ないし(3)事件を併合審理した結果、原告に前項記載のような所為があるものと認定して、昭和三十年二月二十二日原告を「長野県弁護士会より退会を命ずる。」旨の懲戒処分をなし、同月二十四日その旨原告に通知した。

(三)  被告が右懲戒処分において認定した事実の存在することは認めるが、これについては次のとおりやむを得ない事情が存在するものであつて、被告の処分は極めて過重、苛酷であり、到底承服することができない。すなわち、

(イ)  原告は、昭和二十年春当時居住中の本籍地たる東京都世田谷区池尻町二百十七番地において空襲による火災によつて家産の大部分を失い、妻と老母、三男(当時十一歳)及び長女(当時九歳)を引き連れて栃木県那須郡の山村に避難し、昭和十二年夏まで同地において長男富士雄のシベリアよりの帰還を待つたが、妻が山間冷気のため病臥するに至つたので、温暖な沼津市在なる前記裾野町所在の家屋を親族より借り受け、疎開の延長的生活を続けて来た。しかしながら右場所は、御殿場町を分水嶺とする黄瀬川峡谷の海への中間に位置した寒村のはずれで、もとより法律事務所とは縁遠い茅屋であつて、原告自身もかかる処で法律事務を執る意思はなかつたのであるが、自然近隣の人々が集つて来て法律上の相談を受けることが多くなり、訴訟行為を引き受ける結果となつた次第である。斯くの如く、原告は、戦時及び戦後の期間、家族の出征、戦災による居宅の焼失、その他戦乱による生死の苦悩を身を以て体験した同胞のみが知る辛酸をなめ、かつ五十歳以後の家族の分散、疎開生活の無情等をつぶさに味い、前示場所に落ち付いて近隣の情誼からやむを得ず法律事務を取り扱つたものであり、戦前長野県岩村田町に法律事務所を開設し事務主任を置いて連絡に当らせて来たが、戦時交通難等の事情から漸次連絡が絶え、原告不知の間に右主任も死亡して事務の実情全く判明しないまま原告は前記裾野町に仮住居を構えるに至つたものであるから、原告が、当時長野県内に法律事務所を有していなかつたという形式論のみを以て原告にのぞみ、社会混乱、千里流転の際の実情を斟酌しない機械的法律解釈には不満である。

(ロ)  弁護士会費未納の点も、原告がその支払を約しているのであるから、しばらく時日をかして納付せしむべきである。(現に原告は、従前の分は文句なしに納付している。)原告の前記本籍地には戦時及び戦後を通じて引続き親族が居住し、原告宛の通信は必ず連絡できる実情であつて原告は常に自己の責任を明らかにしていた。しかるに長野県弁護士会は、さきに原告を業務停止六ケ月の懲戒処分に付するや直ちにその旨を地方新聞に掲載せしめ、原告の会費を納付するとの度々の言明に拘らず、矢つぎ早の督促をなし、当初から悪意を以て原告にのぞんだものである。

(四)  よつて、前示被告のなした懲戒処分の取消を求めるため本訴請求に及んだ次第である。

被告訴訟代理人は、主文第一項同旨の判決を求め、原告主張の(一)及び(二)の事実は認める。(三)のうち、事実にわたる点は不知、その他はいずれも理由がないと答弁した。

(証拠省略)

理由

被告が、昭和三十年二月二十二日原告に対し長野県弁護士会より退会を命ずる旨の懲戒処分をしたこと、その他原告主張の(一)、(二)の事実はすべて当事者間に争のないところである。

(懲戒処分の内容たる事実関係)

被告の懲戒の内容となつた具体的の事実関係について、以下委細にわたつて審査するに、

一、被告が、原告主張の(一)の(1)につき、静岡県駿東郡裾野町の原告居宅を中心として取り扱つた弁護士業務の内容として認定したところは、

(イ)  昭和二十七年六月十六日静岡地方裁判所沼津支部に係属中の被告人植松七之助に対する名誉毀損被告事件の弁護人となり、同年同月十七日から同年九月十六日まで、四回出廷し

(ロ)  同年五月二十九日同支部に係属中の被告人加藤文隆に対する詐欺被告事件の弁護人となり、同年八月六日出廷し

各弁護士業務を行つた点にあることは、成立に争のない乙第一、二号証によつて明白で、原告が真実かかる業務を行つたことは成立に争のない乙第六号証によつてこれを認定することができる。

二、又被告が、原告主張の(一)の(2)につき、同様取扱業務の内容として認定したところは、

(ハ) 原告が昭和二十八年一月中前記裾野町自宅において、同町佐野精織株式会社代表者清水仙太郎から同町大泉産業株式会社に対する貸金請求事件の委任を受け、同月末頃手数料金六千円、仮差押保証金四万二千円を受領し

(ニ) 同年三月二十六日より同年五月二十九日までに沼津支部同年(ワ)第一三号家屋明渡請求事件(原告新生興業株式会社、被告田村末松外九名)につき右被告等の訴訟代理人となつて出廷し

(ホ) 同年五月十九日より同年九月二十日までの間三島簡易裁判所に係属中の被告人遠藤憲治に対する窃盗被告事件の弁護人として数回出廷し

(ヘ) 同年四月二十五日沼津支部同年(ノ)第三〇号原野明渡調停事件(申立人服部研一部、相手方庄司政五郎)につき相手方の代理人となつて出廷し

各弁護士業務を行つた点にあることは、前記乙第一、二号証によつて明白で、原告が真実かかる業務を行つたことは、成立に争のない乙第七号証、同第八号証の一ないし三によつてこれを認定することができる。

三、被告が、原告主張の(一)の(3)につき、原告の滞納した弁護士会費の内容として認定したところは、

(イ)  日本弁護士連合会費一ケ月金二百円宛(但し昭和二十九年四月以後は金三百円宛)を、昭和二十七年十月以降納付しないこと

(ロ)  長野県弁護士会費一ケ月金二百円宛(但し昭和二十九年四月以後は金三百円宛)を、昭和二十八年一月分残額金百八十円と同年二月以降の分を納付しないこと

の二点にあることは、前記乙第一、二号証によつて明白で、原告が長野県弁護士会長より再三の督促を受けたのに拘らず二年有余にわたり依然かかる滞納を続けて来たことは成立に争のない乙第九号証の一ないし六によりこれを認定するに十分である。

(原告の弁明)

原告は、請求原因(三)において、長野県弁護士会の地域内に法律事務所を設けなかつたこと及び各弁護士会費を納付しなかつた事由につき種々陳述している。もとより当時の困難な社会情勢の下において、原告が親しく体験した苦悩に対しては、衷心同情を禁じ得ないものがあるが、一たび弁護士の使命と職責の重大さに思いをいたすときは、遺憾ながら原告の主張事実を以ては原告の責任を免脱せしめる事由とするに足りない。

(法規の適用)

原告が、昭和二十七年五月以後前記裾野町の自宅を活動の中心として法律事務を営んでいたことは前段に認定したとおりであるから、原告は長野県弁護士会の会員でありながら、同県内に法律事務所を設けることなく却て地域外なる静岡県内に事実上の事務所を有して法律事務を取り扱つたものというべきで、原告主張の(一)の(1)、(2)は正に弁護士法第二十条に違反する所為であること言うをまたない。

又、原告主張の(一)の(3)は日本弁護士連合会の会費の納付を規定した同会会則第九十五条、長野県弁護士会の会費の納付を規定した同弁護士会会則第九十七条、同会会規第三十八条及び旧同会規第三十七条に違反する行為であることは疑のないところである。(右各会則、会規の存在することは当裁判所に顕著である。)思うに、弁護士が、所属弁護士会の地域内に事務所を設けることは、会の秩序と信用を維持する上に極めて必要であるのみならず、弁護士会の経済的運営は、一般に、所属会員の納付する会費を以て行われるものであるから、会費の納付は会員の重要な義務に属するものと言はざるを得ない。殊に、さきに認定したとおり、会員が再三の督促を無視して二年有余にわたつて会費の納付を怠ることは、弁護士会の秩序と信用を害し、弁護士の品位を失う非行であると認むべきであるから、原告の前記(一)の(1)ないし(3)の所為は弁護士法第五十六条第一項により懲戒に値いするものというべきである。

(懲戒処分の当否)

被告は、原告の以上の所為に対し、原告を所属長野県弁護士会より退会を命ずる旨の処分を以てのぞんだのであるが、原告はこれを過重、苛酷とし、その不当を主張している。しかして、成立に争のない乙第三ないし第五号証によれば、被告連合会の懲戒委員会が退会命令の議決をするに至るまでには、次のような審査の過程をたどつたことが認定できる。すなわち、

(イ)  懲戒委員会は、昭和二十九年四月十七日、原告主張の(一)の(1)、(2)の事件(昭和二十八年懲第三号及び第六号)を審査するにあたり、出頭した原告の陳述を求めたところ、原告は「長野県弁護士会に正式な手続をして、現実に長野に居住し、滞納金も納めるつもりである。」と弁明したので、委員長は「静岡県弁護士会では、原告が事務所と共に居所を長野県に移せば懲戒の申立は取り下げてもよい意向である。長野県弁護士会でも、原告が正式な手続をして滞納金を支払つた上現実に長野県内に事務所を設けて居住すれば、原告を受入れてもよい意向である。」旨を伝えて善処するよう勧告した。

(乙第四号証参照)

(ロ) ところが、原告は右言明を実行するところがなく、昭和二十九年十一月二十日の第二回懲戒委員会(原告はこの間同年六月二十四日長野弁護士会から会費の滞納を理由として、退会命令の処分を受け、異議を申し立てた。)の席上においても、専ら自己の健康や、長野県弁護士会に対する感情問題を繰り返すのみで前委員会の席において言明した会費の納付も事務所の移転も実行しなかつたが、改めて同年十一月末日までには必ず会費を完納して受領証を持参する旨誓約したので、同委員会は、それまでの経過を見ることとして閉会した。

(乙第五号証参照)

(ハ) しかるに、原告は、昭和三十年一月二十二日に至つても前示約旨を実行しなかつたため、同日開かれた第三回懲戒委員会は、本件(1)ないし(3)の事案を併合審理した結果原告を長野県弁護士会から退会せしめるを相当と議決し、これに基き同年二月二十二日同趣旨の懲戒処分が行われた。

(乙第三号証、第一号証参照)

以上の経過に徴すれば、被告が本件懲戒処分をするまでには、相当審議を尽し、原告に対しても再度反省を促し、進んで義務を履行するよう十分な期間を提供して来たにも拘らず、原告は口に善処を約しながら、何等理由もなくこれを実行しなかつたため被告はついに前記退会処分をするに至つた事情が明瞭であるから、右処分は関係弁護士会の秩序と信用の維持のため誠にやむを得ない措置であると認めざるを得ない。又、本件事案に対する処分としても著しく裁量を誤つたものと認むるを得ないから、被告のなした右退会処分は正当というの外はない。

(結論)

よつて、右懲戒処分の不当を理由とする原告の本訴請求を排斥すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 久礼田益喜 大江保直 渡辺葆)

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